2012年 12月 09日 ( 1 )

糸山英太郎「怪物商法 常識をぶち破る」

昭和48年の本だが、俺が買った古本は発売後1か月で第100版だから、ものすごいベストセラーだった事がわかる。買おうと思ったのは俺が今ちょうど中山製鋼所を空売りしてるから。

糸山英太郎 - Wikipedia
中山製鋼所を舞台にした仕手戦では、大物相場師の近藤信男(近藤紡績)を相手に一度は苦境に陥るが、父親や笹川の手を借りて何とか乗り切った。


この本ではこの仕手戦の詳細が余すところ無く書かれている。まあ大体内容はJ_Coffeeさんがまとめている通りなんだけど
http://jcoffee.g2s.biz/retsuden4.html#itoyama
面白かったのは、中山製鋼はすでに仕手株として有名な株だったという事、そして中山製鋼の人間もそれを充分認識しておりたびたび株価操作で本業以上に利益を出していたらしいという事。

 「北浜きってのバクチ株」といわれる中山製鋼所は、かつて何回か北浜で大相場を展開したイワクつきの株である。
 昭和二十七年から二十八年にかけて、ただの五十円だった株価が一気に二百六十円にまで暴騰したのが、中山バクチ株のデビューである。
 二回目は百円前後から上げはじめて、三十二年一月に千十円の値をつける凄まじさ。
 三回目はスタートが三百九十円で千百三十円までいった昭和三十六年の大暴騰。
 四回目は大阪・日本橋周辺の金融グループで、俗称”八幡グループ”といわれる一派が暴れまわって、三百円から七百円にはね上がった昭和四十年の相場。
 そして、五回目が四十四年から四十五年にかけてふたたび”八幡グループ”が買いまくった相場である。このときに”八幡グループ”の前に立ちはだかったのが、”天下の売り将軍”近藤信男氏だった。近藤信男氏はこのときに八幡グループに中山株を徹底的に売りあびせ、遂に八幡グループを敗北の泥沼に叩きこんで巨大な利益をむしり取っている。


つまり近藤信男は糸山との仕手戦の前にも中山製鋼の仕手戦で売り方として勝利していたという実績があったわけだ。糸山が中山製鋼を買い始めたのは含み資産が大きい事と、増資を進言するために株主としての発言力を持ちたかった事、そのために株式の3%を取得して臨時株主総会を招集するというのが当初の目的だったようだ。しかし3%の60万株を中山本社に持ち込んでも、会社側が株券の名義書き換えに応じない。株主総会を招集されては困るからだ。

 この間、中山側は何とかして私に名義書換えを思いとどまらせようとして、さまざまなことをいってきた。なだめたり、すかしたり、凄みをきかせたり……。
(略)
 「糸山さん、ウチの株は北浜で一番といわれているほどの仕手株ですよ。子供の持つおもちゃじゃない」


時に糸山英太郎30歳。中山製鋼の創業者・中山重隆の「糸山?どこの若造か知らないが」という言葉を伝え聞いた事をきっかけに、25%の500万株を買い集め経営陣に加わる事を決心し、ここから株を買いまくるのである。自分が買い集めているという事がバレないように「店内信用買い」というテクニックを使い、中井証券・岩井証券・今川証券の協力を取り付けて・・・。
糸山は仕手戦を通して値幅制限をかけたり増し担したりといった手で買い方不利になる介入を何度もしてきた大阪証券取引所に対しての怒りもぶちまけている。これなんかは現在も売り禁増し担で翻弄される事の多い個人トレーダーは共感できるんじゃなかろうか。
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by orjp | 2012-12-09 13:19 |